文章が二つの意味に解釈できるのは、修飾の作用が原因だった

文章が二つの意味に解釈できるのは、修飾の作用が原因だった

文章の難しいところだな、とつくづく思うのですが、何気なく書いたものが、真逆の意味に受け取られることがあります。ひとつの文章なのに、ふたつ、もしくはみっつ以上の意味に解釈できるパターンです。意図通りの理解を促すために、ひとつの文章が複数の意味を持たないように気をつけなくてはいけません。

なぜ私の文章は真逆に解釈されるのか

文章の書き方によって、二通りの意味に解釈されることがあります。AとBの二通りだったとしても、書き手の伝えたかったことが届いていません。さらに始末の悪いケースでは、まったく逆の意味に解釈されてしまうことも。まずは例文を読んでみてください。

例文:今の私は、昔のように酒を飲めない。

例文は、ある酒飲みの嘆きだと思っていただけば良いのですが、どんな解釈をしたでしょうか。間違いなくわかるのは、『現在の彼(彼女)は、酒が飲めない』という事実。ただし、一滴も飲めないのか、大量に飲めないのか、早く飲めないのか、強い酒が飲めないのかは不明です。

問題になるのは、次のような解釈をしたとき。「そうか、彼は昔から下戸だったけど、10年経った今でも飲めないのか」。この解釈は、『昔のように』という言葉があるせいで発生します。『昔のように』という言葉が複数の解釈を成り立たせているわけです。

昔も今も酒が飲めないのか、昔は飲めていた酒が飲めなくなったのか。もともとアルコールパッチテストで真っ赤になってしまう人物だったのか、肝臓を壊したり医師から断酒を勧められているのか。では次のように書き換えてみたらどうでしょう。

書き換え1:今の私は、昔のようには酒を飲めない。
書き換え2:今の私は、昔と同じで、酒が飲めない。

書き換え1であれば、『昔は酒を飲めていたのに、今はなんらかの事情で飲めなくなった』ということがわかりますね。書き換え2の方なら、『昔は酒が飲めなかったが、今現在も飲めるようになっていない』ということが伝わります。

ように と ない が一緒のときは、二つの意味に取られやすい

複数の意味に取られてしまう文章がわかったところで、なぜ二つの意味に解釈できたのかを考えてみます。正直、なぜかというところまで突き詰められていないのですが、ひとつの文章なのに複数の意味に取られる例文をいくつか見た結果、次のような共通点がありました。

『〜〜ように、〜〜ない』という言葉が使われていると、ひとつの文章なのに複数の解釈が成り立ちがちです。

例文でみると、『今の私は、昔のように酒を飲めない。』と、青字部分に『〜〜ように』『〜〜ない』が登場します。この二つの語句が出てくると、複数の意味に解釈されがちなので注意しましょう。理由はそのうち調べてみます。

こんなにある、複数の意味に解釈できる文章

『〜〜ように』『〜〜ない』が使われることで、ひとつの文章なのに複数に解釈できることを紹介しました。でも世の中には、まだまだたくさんの「勝手に解釈を多様化する文章」が存在します。いくつか例文を挙げてみましょう。

例文:部長は出かけていなかった。

これは口語の文章を書いてしまったせいで、『部長が出かけていて不在だった』とも『部長は外出をしていなかった』とも受け取れます。

例文:彼は寡黙に酒を飲む女性をみつめていた。

こちらは『彼が寡黙だった』とも『酒を飲む女性が寡黙だった』とも受け取れます。できれば、週末のバーで、後者の女性に一目惚れなどしてみたいところ。

例文:マスターと女性客の二人が酒を飲んでいる。

週末のバーでの光景を深掘りしてみました。『マスターと女性客一人=合計二人』なのか『マスター一人と、女性客が二人=合計では三人いる』のかがわかりません。希望としては後者であってほしい。前者の場合、マスターと女性の関係が危ぶまれますので。

3個の例文を挙げてみましたが、もちろん他にもいくらでも存在します。

修飾の作用によって、二通りの解釈が成り立つ

ひとつの文章なのに二つの解釈が成り立ってしまう理由を、自分なりに考えてみました。時間があったらやろう、調べる予定でしたが、思ったことを記載してみます。ただしくれぐれも、時間があった、暇だったわけではありません。

まず次の例文をご覧ください。

例文:お金ばかりかかる女性は、私の人生において不要な生き物だ。

女性にモテないわけではなく、こちらからお断りしている男性の話です。この例文は『お金ばかりかかる女性』について、二つの解釈が成り立ちます。ひとつは『数多くいる女性のなかで、お金ばかりかかる女の人』という意味。「あれを買ってくれ、高級車に乗ってくれ、外食するなら高級レストラン、旅行にいくなら高額な宿……」と要求してくる女性ですね。

一方で以下のような解釈も成り立ちます。『女という存在はすべからく金のかかるものである』という、前提なのか苦い経験からの発言です。ある特定ジャンルの女性を指しているのか、女性という存在すべてを対象としているのか。

ではどうして、二通りの解釈が成り立つのでしょうか。わたしが目をつけたのは、修飾の作用です。そもそも修飾ってなんだっけという人のために、以下を貼っておきましょう。

修飾語:文法用語。「とてもきれいな絵」で,「とてもきれいな」はどのような絵なのか,「とても」はどれほどきれいなのかを示している。このように,文中で他の語句の表わす内容に限定や説明を加える語句を修飾語といい,修飾されている語句を被修飾語という。
引用:コトバンク

つまり修飾語とは、文の中で『どんな』『何を』『どのように』『どこで』などを表し、主語や述語やほかの語句を説明する際に用いられる品詞です。この修飾(修飾語)には、いくつかの働き方があります。

修飾の作用、制限用法

修飾の働きのひとつに、文法用語でいうところの『制限用法』があります。ある語句が別の語句の意味に対して、なんらかの制限をするときに用いられるケースです。例文の場合で考えると、『お金ばかりかかる』という修飾語が、『女性』という語句の意味を制限しています。制限用法の解釈としてわかりやすいのは、文章の中に登場する修飾語を、あるひとつの意味合いに制限する、ひとつの対象に制限する、だと思ってください。ひとつに制限するから、制限用法。例文の場合は、『数多いる女性のうち、お金ばかかりかかる女性に限定』ということです。

修飾の作用、非制限法

ではもうひとつの解釈は、修飾語がどのような作用をしたのでしょうか。勘の良い方なら気が付いた通り、制限用法の逆です。これを文法用語で『非制限用法』といいます。特定の女性に制限するのではなく、全人類の半分相当である女性のことを『お金ばかりかかる存在』と言い切っている。『お金ばかりかかる』という言葉が『女性』という語句の意味を説明している状態です。よって修飾語が非制限用法の作用をすることで、『女性はすべてお金がかかる』という解釈に方向付けています。

修飾語の使い方によって、複数の解釈を成り立たせてしまう

いくつかの例文を挙げて、ひとつの文章なのに複数の解釈が成り立ってしまうことを証明しました。またその理由は、修飾語の働きかけにあると思ったわけです。この仮説が正しいとしたら、修飾語を用いるときは、意図と違う意味に解釈されないか注意が必要ということ。怪しいなと思ったときは、別の表現に書き換えてみるといいでしょう。

もちろん前後の文脈(どちらかというと前の文脈)で、間違った解釈をされない可能性もあります。よほど性格が悪くない限り、意図通りに受け取ってもらえる文章であれば、神経質になることもないでしょう。頭の片隅に、修飾語の作用によっては書き手の思いと違う解釈がなされる、と置いとけば。現場からは以上です。