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読点の打ち方で見違える、複数の修飾語が登場する文章。

読点の打ち方

修飾語の順番について、いくつか鉄則を紹介してきました。複数の修飾語が出てくると、順番の工夫なしでは、間違った意味に読み取られることがあるからです。一文の中に修飾語がふたつやみっつ出てくるのは、珍しいことではありません。だからこそ、間違った読み解き方をされないテクニックが必要なのです。本項では、読点の打ち方によって正しい理解を促す方法について紹介します。

修飾語が複数ある場合、読点で読み手の意識を誘導する

一文に複数の修飾語が使われる場合、文の順番に手を加えることで、読み手に誤読のリスクやストレスを与えないですみます。そしてもうひとつ、実は修飾語の順番を工夫しなくても、読み手に適切な読み解き方を伝えることも可能です。小学生時代に習う読点、『、』の使い方ですね。確かに読点を使えば、点を打った部分でひと呼吸置いてもらえるため、こちらの意図通りに理解してもらえる可能性が高まります。

ただし一文のなかに読点が、3個も4個も打たれているのは、ちょっと格好が悪い。見た目が悪いだけではなく、読点を入れることで、ついつい一文が長くなってしまう傾向もあります。できれば一文には、読点がひとつ、多くてもふたつくらいに留めたいところ。別の投稿でもさんざん紹介してきましたが、基本的に一文は短いことが正義です。ただし、読みやすさや理解しやすさのためには、ひとつくらいの読点を打って置くのは親切。

そこで読点について紹介します。ただし本項で紹介するのは、一般的な読点の打ち方ではありません。修飾語が複数出てくる一文において、順番の入れ替えで対応できない場合の工夫についてです。読点の打ち方によって、読み手の意識を操作する、といったらたいそうな話になりますが、理解を手伝うくらいの効果があります。

読点の打ち所で、修飾語と被修飾語の関係を明確にする

まずは例文を読んでいただきましょう。文章の良し悪しや内容については、いったん無視してください。注目していただきたいのは、修飾語と被修飾語の関係性です。

例文1:深夜の国道を猛スピードで走り抜けたので信号三つ分遠く離れた脇道で待機していた白バイが追走して運転手は逮捕された。

まぁ普通に読んでも理解ができないことはありません。無理やり間違って読み解くのであれば、以下。

例文1_誤読:深夜の国道を猛スピードで走り抜けたので信号三つ分離れた。

前の文脈で、運転手が反社会勢力の黒塗りベンツに追われていたと描写されているとしましょう。すると上記の誤読が成立します。運転手は主人公か何かで、真夜中にパンチパーマの反社会勢力が運転する黒塗りのベンツに追われている。国道を逃げ惑いながら、アクセルを踏み込む足に力が入ります。制限速度は50km/hですが、捕まったら命の保証はない。メータを覗き込む余裕はないものの、体感速度では80km/hを超える猛スピードです。パンチは運転が苦手のようで、スピードを出したら二台の車の距離が信号三つ分広がりました。主人公は這々の体で逃げ切ったのです。

長くなりましたが、そんな読み間違いをしつつ『脇道で待機していた白バイが追走して運転手は逮捕された。』と続く。読み手としては「???」となったのちに、「ああ、スピード出しすぎて、信号三つ分離れたところにいた白バイに逮捕されたのね」と気がつきます。結果としてはオーライなのですが(物語の主人公も、とりあえずパンチに捕まる前に警察に助けられる)、一度読み返させる手間は褒められません。

では読点を打ったらどうなるでしょうか。

例文1_読点:深夜の国道を猛スピードで走り抜けたので、信号三つ分遠く離れた脇道で待機していた白バイが追走して運転手は逮捕された。

これで『深夜の国道を猛スピードで走り抜けたので』が『運転手は逮捕された』にかかっていくことがわかるようになりました。もうひとつ例文を見てみましょう。

例文2:公民館で囲碁クラブを開く部長が将棋を指していた。

こちらの場合、書かれている順番に読んでいくと、『公民館で』『囲碁クラブを開く部長』と理解できます。すると、「囲碁クラブの開催場所が公民館なんだな」と思われる。でも意図したかったのは、『公民館で将棋を指していた』ことであり、囲碁クラブの開催場所はどうでもいいのです。この場合は、以下のように読点を打ってみましょう。

例文2_読点:公民館で、囲碁クラブを開く部長が将棋を指していた。

これで間違われることはなくなりました。ただし例文2の場合、修飾語の順番を『長い方を先』にすることでも解決します。

読点の有効な使い方は、短い修飾語の後に長い修飾語がくる場合

前項では、読点を使わなくても修飾語の順番によって、読み手を惑わさないんだけど……という終わり方をしています。では、順番を入れ替えるのか、読点で対応するのか。この答えは次の項目で持論を展開する予定です(ここまで書いている時点では)。

まずは読点による修飾語の整理について、もうひとつの使い所を解説しましょう。小見出しに記載しましたが、短い修飾語の後に長い修飾語がくる場合、つまり修飾語の順番の鉄則を無視する場合に、読点を使うことで読みにくさを回避できます。

例文3:組長は男を取り逃がしたのに悪びれないパンチに鉄拳制裁を与えた。

例文1を引きずったハードボイルド小説気取りですが、順番通り読むと、男を取り逃がしたベンツの運転手は組長だったことになります。組長は自分が取り逃がしたくせに、部下であるパンチにパンチをお見舞いした。反社会勢力の組織ですから、そういう理不尽もまかり通る可能性はあります。しかし書き手が意図していたのは、あくまで取り逃がしたのはパンチであって、組長は怒って殴ったよという流れ。哀れなパンチが理不尽で殴られないよう、読点で救済してみます。

例文3_読点:組長は、男を取り逃がしたのに悪びれないパンチに鉄拳制裁を与えた。

これできちんと、ミスをしたパンチが殴られたことになりました。暴力はよくないですが、理不尽ではなくなったというわけです。もひとつ例文を書いてみましょう。

例文4:自称無職の会社員役員を拉致・監禁した容疑の暴力団組長が逮捕された。

これはですね。組長が逮捕されてめでたしめでたし、の流れにしたかったんです。しかし単語を前から理解していくと、『自称無職の会社員役員』という意味のわからない展開になっています。「会社役員だってバレたらまずいから、無職って言ったのかな」とも捉えられそうです。ハッピーエンドにするためには、読点を使いましょう。

例文4_読点:自称無職の、会社員役員を拉致・監禁した容疑の暴力団組長が逮捕された。

これで、暴力団組長のくせに無職と言い張った悪人が逮捕されました。短い修飾語の後に長い修飾語がくると、どうしても読み間違いが起きやすくなります。前の修飾語が後ろの修飾語にかかるように読めるんですね。なんらかの事情で順番を入れ替えられない場合、読点を使うことで読みやすく工夫ができるという例でした。

読点を用いれば、間違った解釈を減らせる

修飾語が複数あるのに、法則に則って順番を入れ替えないで読点を使う理由について考えてみます。その前に、そもそも読点とはなんなのかをはっきりさせておきましょう。

とうてん【読点】
意味の切れ目を示すため、文中に施す「、」の符号。
引用:コトバンク

読点を打つ理由は、修飾語の順番入れ替えと同様に、間違った読み方・理解をされないためです。そしてもうひとつ、呼吸するタイミングを明示することで、読み手のストレスを減らす作用が考えられます。ちょっと例文を書いてみましょう。

ここからはきものをぬいでください。

けっこう有名な例文なんですが、そもそもひらがなであることが迷惑です。ただ万人に読んでもらう必要か何かがあって、ひらがなで記載されたとしましょう。イメージとしては、神社やお寺です。小学生や外国人が参拝しにきたとき、『ここからはきものをぬいでください。』と書かれていた。小学校低学年なら、漢字は読めません(ルビをふれというツッコミは、ここではなしにしましょう)し、外国の方は漢字を知らない可能性が高い(ひらがなだって読めないよというツッコミは、ここではななしにしてください)です。

不幸にもひらがなが読めてしまい、日本語の単語を理解していたとします。すると神社の拝殿に踏み入れる瞬間、小学生や外国人が裸になってしまいました。「神聖な場所でなんと破廉恥な」と神主さんがお怒りになるのですが、小学生と外国人はキョトンとします。なぜなら彼らは『ここではきものをぬいでください』→『ここでは きものを ぬいでください』→『ここでは着物を脱いでください』と理解したから。「さすが日本の由緒ある神社ですネ。汚れた服を脱いでからお参りしないと、神様に失礼というコト。わかりマス、わかりマス。従うでありマス」と、日本の伝統に理解を示してくれたのです。

トンチ話はこれくらいにして、つまり『ここで、はきものをぬいでください。』と読点があれば良かった。読点を用いることで、文章の誤読が防げるという事例でした。

修飾語の順番入れ替えではなく、読点を用いる理由

一文の中に複数の修飾語が出てくる場合、順番を入れ替えるにしても、読点を打つにしても、目的の一番は理解しやすくするため。結果として読み手が誤読をしなければ、どちらを使っても問題ないと思います。では、書き手の気分で使い分ければいいのでしょうか。

極論、あなたの好きなようにしてくださいと思うのですが、ルールがあるとしたら、文章全体の中で統一がされていることがひとつ。読点で修飾語と被修飾語の関係をわかりやすくする一文と、修飾語の順番によって同じ効果を狙う一文が混じっていると、気持ち悪く感じる可能性があります。もうひとつが、一文に読点が3個も4個も出てくる場合。読点が多すぎると一文が長くなりがちなのは、冒頭で書いた通りです。短い一文の場合、例えば20文字程度だとして、読点が4個もあったら、読み手のリズムをかき乱す可能性がありますよね。とはいえ、やっぱり気分によるところが大きいと思うんですよね。

この気分というのは、書き手がその瞬間に感じているものではなく、一文ごとに発生する気分です。「この文は、ここに読点があると邪魔だな」と感じたり、逆に「、を打つことでより雰囲気が伝わりそう」と感じたり。文章は読み手とのコミュニケーションツールであって、あなたが作家でもない限り、アートではないケースが大半です。「そこに書き手の好みや趣味趣向を反映するのはいかがなものか」という考えもあるのですが、読点か順番かくらいは、個人のエゴが入っていても許されるのではないでしょうか。現場からは以上です。

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