笑える文章ではなくって、笑ってる文章を書いて、堂に入ってるライターさんや記事を目にしたことがありますよね。個人的な見解で恐縮ですが(個人的なブログですから)、笑ってる文章を書いてしまうのって、ライターとして三流以下であることを宣言しているようなもの。
ちょっと辛辣ですが、プロのライターとして生計を立てるなら、考え直したほうが良いのではと思います。なんて書きながら、自分自身もそういうところがあるよなぁ、と自戒の念を強く持ちながら。
笑える文章と笑ってる文章の違い
ところで『笑ってる文章』とは何のことでしょうか。『笑える文章』なら、皆さんの頭のなかに、それぞれ思い浮かぶでしょう。冗談だとかギャグが書かれているわけでもないのに、くすりと笑ってしまう文章。もしかしたら、大声を上げてゲラゲラ笑ってしまう文章かもしれません。
わたし自身、『笑える文章』を書きたい、読んだ人に笑ってもらえる文章を書きたいと思って努力しています。でも、まだまだその領域に達することはできず、平凡な文章だったり、ときとして恥ずべき『笑ってる文章』になってしまうことも。
わたしが『笑ってる文章』と定義しているのは、読者にウケることを狙いすぎている文章です。ここでいうウケ狙いとは、文章そのものや内容が評価されるという意味ではなく、物理的に『笑われる』ことを狙っている状態を指しています。
書いている本人だけが笑える文章、場合によっては本当に、書きながらニヤニヤしている文章のことです。なんとか面白い文章を書こうと努力しているのでしょうが、読み手としてはちっとも笑えず、笑いを狙う様を見透かせて不快になる文章。これが『笑ってる文章』です。
一流の芸人は、真顔で面白いことをする
最近のバラエティ番組はちょっと異なりますが、例えばチャップリンとか、日本でいうと落語など、面白い言動のときほど真面目な顔をしています。真顔で風変わりな行動や発言をするから、見聞きしている方は可笑しくって仕方がない。
これがヘラヘラと笑いながら、さも「いまから面白いこと言いますよ」という顔でやられた日には、狙ってる感じがして素直に笑えないことがありませんか。繰り返しになりますが、最近のバラエティ番組はそうでもないですけど。客よりも先に自分が笑っちゃってるシーンを目にしますが、「ああ。寒いな。スベってるな」と思ってしまうわけです。
笑ってる文章、その特徴
では、どのような文章が『笑っている文章』でしょうか。特徴的なところを挙げてみます。一言でいうと、大げさな表現をしているケースです。
大げさな表現で笑ってる文章
- 大げさな表現をしている
- 誇張しすぎている
- 話を盛っている
- あり得ない数字を出している
はい。どれも表記は違いますが、一言で表した通りのことです。ちょっと例を挙げてみます。
- 驚きのあまり、入れ歯が口から飛び出て、相手の口にすっぽり収まってしまった。
- 驚きのあまり、腰を掛けていた椅子から転げ落ちて、倒れた床で寝返りを打った。
- 力いっぱい投げたボールが、あべのハルカスの最上階付近まで到達した。
- なんとかバンカーから脱しようと、7番アイアンで5打、次々とクラブを変え15番アイアンまで使った。
どれも驚きであったり必死さを表すために、大げさな表現をしています。ゴルフ好きであればご存知の通り、ゴルフバッグに入れられるクラブの数は14本まで。アイアンであれば9番くらいまでしかありません。
話を面白くするために、大げさであり得ない数字を盛り盛りにする。完全に笑いを取りにいっていますし、書き手がほくそ笑んでいる様が浮かびます。でも読み手としては、そこまで面白くない。
いや、仮にですよ。入れ歯が飛び出て他人の口にすっぽり収まったとしたら、それは大変に面白い話だと思います。が、事件ですし、実際にはまず起こりえません。実在した出来事であれば、それだけで記事が書けますが、できれば動画というメディアで公開したい。
無駄な擬音を多用する笑ってる文章
他にも笑ってる文章の特徴があります。上手じゃない人がやると目も当てられないのが、オノマトペの多用。
オノマトペ:擬音語や擬態語、擬声語などを意味する語。きらきら、ぴちゃぴちゃ、などのような表現を包括する概念。
引用:Weblio辞書
漫画などで多用されますが、そもそもが大げさな作り話であるので、また視覚表現にも等しい使われ方なので、あまり違和感はないかもしれません。が、文章の中で多用されると、どうにも嘘くさくなってくるもの。特に真面目な文章の中に不自然な擬音があると、どうにも真実味がなくなると感じています。
大げさかつ意味の分からない擬音を多用してみました。わたし自身あまりオノマトペを利用しないので、どうにも上手に書けませんでしたが、不自然さは感じていただけたでしょうか。
意味のない形容詞や副詞で笑ってる文章
偉そうに文章のことや言葉の使い方について解説していますが、実はわたしは勉強が苦手でした。正しい国語だとか文法はマスターしていないのですが、自分なりに大人になってから勉強した知識で書いています。間違っていたらごめんなさい。
形容詞や副詞の使いすぎによっても、笑っている文章はできあがると考えています。例えば、『すごく』であったり『とっても』や『死ぬほど』などがそれ。
『すごく』は国語的には、形容詞である『すごい』の連用形ですね。『とっても』は『とても』が元になっている副詞、『死ぬほど』は『死ぬ』+『ほど』による連用修飾語になるようです。ちなみに『死ぬ』は動詞の連体形で、『ほど』は名詞(副詞という説もあるようです)になります。
必死さを伝えたかった気持ちは良くわかりますが、だったら『すごく』『とっても』『死ぬほど』を具体的に描写するほうが、切羽詰まった様子が正しく感じられると思うのです。
実際のところで例文のような状況に巡り合った場合、驚いているのは事実でしょうが、面白おかしい表現をする余裕などなく、無言で踵を返していたのだと想像できます。
驚いたり疑問を持つのは、書き手ではない
感嘆符、疑問符とは
感嘆符(かんたんふ)とは、約物の一つで「!」と書き表される。視覚的な表現として注意喚起のため危険であることを表現するために用いられることもある。
引用:Wikipedia
いわゆる『ビックリマーク』のことですね。驚いたときや、強調したいときに用いられる役物です。
ちなみに
約物(やくもの、英: punctuation mark)とは、言語の記述に使用する記述記号類の総称で、専らフォントなど組版を意識して使われる用語である。具体的には、句読点・疑問符・括弧・アクセントなどのこと。元は印刷用語で、「しめくくるもの」の意。または、煉瓦・タイルなどで、縁に配置するために他と形状を変えてあるものを約物(「役物」とも書く)と称する。
約物は通常は発音されないが、慣用的に用いられたり、文に意味付けを加えたり、音の表現でしかない平仮名や片仮名で表現しきれない意味付けを表現するのに使われる。
引用:Wikipedia
役物の使い方は、わたし自身もまだまだ悩みどころが多く、使い方の統一ができていないところ。多用するのは格好悪いかなぁ、くらいの認識しかできていません。まだまだ勉強中です。
疑問符(ぎもんふ)は約物のひとつで、「?」のように書かれる。疑問を表し、疑問を表す対象の後に置かれる。なお、耳垂れ(みみだれ)、はてなマーク、クエスチョンマーク(英: question mark、クエッションマーク)、インテロゲーションマーク(英: interrogation mark)などとも呼ばれる。
一般には、疑問文の最後に、終止符(マルやピリオド)に換えて置かれる。このため、疑問符は文の終わりをも示す。ただし、しばしば文の途中の疑問を表したい単語(不明確なことなど)の直後に置かれる。この場合、括弧で囲むことが多い。
引用:Wikipedia
疑問符も、ご存知『クエスッチョンマーク』のこと。余談ですが、『クエスチョンマーク』と呼ぶ場合と、『クエッションマーク』と呼ぶ場合がありますが、どちらも意味は同じです。18世紀前後にフランスで生まれた数学者の「Kue;-sun Cho(クェースン=チョー)」が作った記号とされているため、『クエスチョン』『クエッション』と便宜上呼ばれているそうです。
読んだ人が、驚きを感じるのが文章
話をもとに戻します。個人的見解ですが、あれも笑っている文章に等しく、ライターとしての力の入れどころを怠けていると思うのです。
わたし自身もライターとして文章を書き始めたころ、やたらと「〜なのだ!」「〜があった!?」を用いたことがありました。先輩ライターから指摘されて心に残っているのが、「書いてるオマエが驚いてどうすんだ」という叱責です。
文章とは書くための物ではなく、読まれる物であるとするならば(これが本質だと認識しています)、驚きや疑問についても、書き手が思うものではなく、読んだ人が感じるのが筋ではないでしょうか。
疑問符や感嘆符を用いることで、読み手に対して「僕としてはここで驚いて欲しいんだよ」とお願いしているに等しい。お願いして驚いてもらうのではなく、読んだ人が驚きを感じてくれる文章に仕立てることが、ライターが存在を許されるひとつの理由になると思っています。
笑うのも、驚くのも、疑問に思うのも、読者に委ねられている
『笑っている文章』と『お願いしている文章』について紹介しました。どちらのパターンも、文章は書くのがゴールではなく、読まれるのがゴールであることを忘れてしまっているように思います。
書き手が自分の喜怒哀楽を強要するのではなく、読み手が自然と共感してくれる工夫をする。一流のライターと二流以下のライターの差は、こんなところにも出てくるのだと思っています。
独りよがりの笑ってる文章を書くのではなく、読み手がついつい「くすっ」としてしまう文章。「ニヤリ」としてしまうような文章を書きたいと思いながらの努力という行為が、一流のライターを目指すためには必須なんだろうと。現場からは以上です。